皆さまこんにちは。すぐに記事を書く予定でしたが、公私共に忙しくなってしまい久々の投稿となります。
4回に渡って書いてきたロクサンの製作記も今回で完結となります。
④スカート周りの加工
ベースをどうするか迷いましたが、他の車両と連結する兼ね合いからカトーを使用することにしました。
ボディ側をしっかり加工しましたので、スカートもひと手間加えることにします。

製品のままが上、加工したものが下になります。
丸で括弧った部分、これは双頭連結器の並連、密連を切り替えるコックです。
カトー製品は部品共通化のために、〇次車として発売されているものの、スカートに関しては作り分けされていません。
番号によって少しづつ位置が違うほか、形が異なるなど、結構面白い部分ですので再現してみました。
加工にあたっては、トミックスの切り替えコックのモールドをカッターで薄くそぎ取り、瞬間接着剤で固定する方法を取りました。
カトーとトミックスで、再現している番号が違うのは面白いですね。
それからお気づきの方もいらっしゃると思いますが、エアホースも取り付けています。
今回も銀河のロストワックスを使用しています。密自連用の長いものは、宮沢模型の加工パーツ集に入っていたものを使用しています。

続いてジャンパ栓の枠です。左がトミックス、右がカトーです。
同じ模型を再現しているはずなのに、大きさが大分異なりますね。
個人的な感覚としては、これらの中間ぐらいが丁度良さそうなのですが…笑
迷いましたが、加工のし易さやモールドの好みなどを取ってこちらはトミックスのものを使用することしました。

こちらも加工していきます。2台のロクサンのうち、1台は使用しなくなったジャンパ栓を撤去していました。
実車の写真と見比べながら、不要なモールドを削除しておきます。
削除が終わりましたら、ジャンパケーブルを通すために、コックが開いたジャンパ栓を取り付けます。
●完成

ロールアウトです。手前が16号機、奥が8号機になります。
この写真ではカプラーが下を向いていてダサい上に、高さが足りなくて電車と連結できませんでした。
現在はカプラーポケットを改修したため、全ての問題をクリアしています。

16号機を正面から見てみます。
不要なジャンパ栓を撤去したことから、気持ちスッキリとして見えます。
信号炎管とワイパーは銀河モデル、ホイッスルはカトーを使っています。
それぞれのパーツは使いやすさですとか、そういったことを考慮した上で選んでいます。
ナンバーはロクニに続いてトレジャータウンの金属インレタです。実感的になるのでお勧めです。
課題であった貫通扉下のステップも、トミックスの顔に挿げ替えたおかげでシャープな印象になりました。

屋根上です。8号機と16号機で避雷器の位置が違うことから、配管の引き方も当然異なります。
配管の色に関しては分からなかったため、黒にしてあります。トミックスのHOに合わせました。
●蘇るあの時、あの場所

完成させた車両を早速走らせてきました。今回は落合にあるリカラーさんです。
鉄橋を渡る115系とロクサン。
実際の区間でこんな形の鉄橋は無かった?と思いますが、雰囲気は抜群です。
ブロワ音が聞こえてきそうです。

ロクニと三重連で峠を下ってきます。三重連の時は総括制御ができたそうですね。恥ずかしながら最近知りました。
この光景も再現したかった姿なので満足です。

イメージは丸山付近でしょうか。
下り列車ではロクニとロクサンの位置が離れているため、無線でやり取りをしながら峠を登っていました。
前方のロクニに乗務する機関士が信号の確認を、ノッチの指示は本務機であるロクサンの機関士がしていました。
横川での制動試験時の掛け合いもかっこいいのですが、客車列車ですと車掌さんからの発車合図も当然あるわけなんですね。
3名のプロが、無線を使って安全に列車を出発させ、軽井沢を目指すのです。
車掌「〇〇列車発車ぁ!」
ロクニ機関士「〇〇列車発車ぁ!」
車掌からの出発合図を受けたロクニの機関士はそれをロクサンの機関士にも伝えます。
当然復唱することから、都合3回の発車の歓呼が聞こえるわけです。
峠に挑んだ列車たち。どんなに良い車両を作っても、それを操るのは人の手なのです。
そんな現場の力も含めた、この碓氷峠という場所と、黙々と任務をこなしていたロクサンがやはり好きです。
いまだロクサン、そしてロクサン。
☆☆☆☆
製作にあたり参考にした文献
・ネコパブリッシング 鉄道車輌ガイドvol.11 EF63
・ネコパブリッシング Rail Magazine(2007年12月号)
・イカロス出版 電気機関車EX vol.05
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- 2019/07/16(火) 12:30:05|
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大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年は国鉄型とOERを作るつもりです。技術が上がるよう頑張りますので何卒よろしくお願いいたします。
前回の
続き
●完結編
車体への加工が終わりましたので塗装しました。細部への色入れと、パーツごとに切り出したガラスをはめ込み完成です。
それでは車両ごとに見ていきましょう。
まず、今回の編成です。
←三条
1907 1983
1908 1929 1919 1982 1920 淀屋橋→
凡例 太字…元1810系(編入車) 下線…TVカー
ここで、一回目の記事にも書いた1900系の各形式についても再掲します。
1900 Mc車(運転台・モーター付先頭車)
1950 Tc/T車(運転台付先頭車/中間車)
1980 M車(モーター付中間車)←このグループは新製車のみ
特急15分ヘッドでの運転に伴う編成数増加のため、後継である3000系がデビューしました。
そのあおりを受けて編成に余裕の生まれた1900系を組み合わせて、初の7連による運転が開始されました。
今回の編成のポイントはそんな7連であること、テレビカーが3両組み込まれていること、そして全車電動車というところです。
編成を選定する上で最後に上げた全電動車というのが個人的にピンと来たところで、7基上げたパンタで走らせたら絶対にかっこいい!と思い製作することにしました。結果的に全車パイピングのおかげで自分の首を絞めることになりましたが…苦笑
●1907/1908

元1810系から編入改造された制御電動車です。
番号が奇数なのが京都・三条方で偶数が大阪・淀屋橋方です。
外見としては淀屋橋方にはジャンパがうねうね生えており、大き目の箱が付いているのが特徴です。
おでこに付いた前照灯はもともと砲弾型のものが取り付けられていましたが、1971年から今回製作したような2灯タイプに交換されました。ただ、一般車に格下げされるまで原型の砲弾型を保ったままの車両もいました。これはメンバーのほつ太朗氏がそのタイプのものを製作しています。
運転席側の窓はアルミサッシになっています。これも登場時は木枠、格下げ後はHゴムになっているため、1900系を模型で楽しむ上でのポイントの一つですね。ワイパーはシングルタイプです。

屋根上です。正直、配管含めてベンチレータの位置等もまったく自信ありません笑
1907号車はTVカーで、ランボートの直後にベンチレーターがあるのが確認できたので、このような屋根にしています。
一方、1908号車はランボートが長いので、ベンチレーターが中央に配置されたものがあるようにしています。
なぜこのような配置にしたのかと言いますと…、余談といいますか、私の仮説の話です
編入車はもともと枕木方向にもランボートがあるのが特徴でした。これはほかの1800系などにも見られたものです。ですが、列車無線アンテナの取り付けが要因?でこれは撤去されています。
レイルの京阪ロマンスカー史上に、1907号車の俯瞰写真があります。これは列車無線アンテナ取り付け前なのですが、ベンチレーターの位置が前述したようになっているのです。何が言いたいのかといいますと、列車無線アンテナ取り付け時に、ベンチレーターの位置を弄ったりしたわけではなさそうなんですね(弄る意味も分かりません)。かといって、2種類あるのもよく意味分かりません。
ですから、TVカーの有無でこの2種類に分かれたのではないかと考えたのです。
但し、元両運転台の1905号車に関してはこの法則から外れ、1908号車のようにTV無の屋根のタイプになってしまします。
1906号車の屋根は確認できていないので、これも憶測の範疇ではありますが、1906号車も1905号車と同じタイプでしょう。
これら2両は両運転台なだけに、特殊なのではと結論付けました。ちょっと都合の良い解釈かもしれません。
このあたりの資料であったり、詳細な情報を知っている方がいらっしゃればぜひお話を伺いたいです。
●1919/1929/1928

こちらは1900系の中でも新製組の制御電動車です。
編入組と同じく、番号が奇数なのが京都方、偶数が大阪方です。
こちらもジャンパに関しては大阪方の1928に特徴が見られます。
ちなみに編入組と新製車で正面貫通扉のドアノブ付近に違いがあり、再現してみたんですがよく分かりませんね笑
特徴的なバンパーはミラーフィニッシュを貼り付けて表現しました。ワイパーはダブルタイプです。

屋根は3両とも同じです。配管は既に間違いを見つけていますが、頑張ったので許してください汗
●1982/1983

新製車の電動中間車です。
大阪方に回送運転台を設けているのが特徴です。全部で6両製造されましたが、後に2両が電装解除されて1950形に編入されています。
付随中間車の1950形はオールクロスシートのため、妻板の窓が天地方向に狭いのが特徴ですが、この形式は妻側がロングシートになっているため通常のサイズとなっています。なおオールクロスシートなのは1950形のみです。
回送運転台はプラ板にて製作しています。切り出すだけでなく、切り口を少し斜めに削って実車に近づけています。
●見所
①伝統のテレビカー
②保護棒

やはり京阪の伝統あるサービスといえばテレビカーです。
今回このロゴを客車男氏に製作していただきました!末期のころに見られた銀文字は製品化されているのですが、オレンジ文字のインレタは製品化されていません。やはりステッカーでは味気ないですからね…。
そしてこの頃の京阪に多く見られた保護棒の存在。取り付けがシビアで全ての部分においてうまくいったわけではないのですが、少しでも綺麗に見えるよう、騙し騙しで何とか形になりました。
③ヒューズボックスへ上がる配管

私が今回、一番気を使った部分です。
横から見たときに配管が立ち上がっていく姿というのは、実車も美しいですし、何よりそれを模型で再現したい部分でもありました。
パイピングが綺麗なモデラーさんの作品を幾つか生で見る機会が過去にあり、自分自身もそんな風に仕上げてみたいと、常日頃から思っていました。
私は足元にも及びませんが、まずはこの部分だけでも納得いけるようにと気合を入れて製作しました。
個人的には気に入っています。
④前と前(JTBキャンブックス「京阪電車」より引用)

いわゆる連結面です。とくにこの形式に関しては異系列はまず有り得ないのに、明らかに見た目の違うもの同士が繋がっているのはとても愉快です。
この角度からだと、私が編入組で再現したかった一段下がる雨どいも効果的なことが分かります。
反対のホームから見てるとこんな風景だったのでしょうね。
●結び
2017年時点での私の技術をすべてぶつけた作品です。これ以上綺麗に作るのはたぶん無理でした笑
いつものことですが、反省点はあります。それを次の作品では改善していけるよう仕上げていこうと思います。
☆☆☆☆
製作にあたり参考にした文献
・レイル 京阪ロマンスカー史上/下
・鉄道ピクトリアル京阪特集各号
・JTBキャンブックス 京阪特急/京阪電車
・さようなら、ありがとう 1900系(絵葉書)
・
倶楽部2600
- 2018/01/24(水) 11:48:52|
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前回の
続きです。
⑤雨どいとウインドウシルの取り付け
完全に車体を一体にしたら、いよいよパーツ類の取り付けに入ります。
まずはエバーグリーンのプラ棒を雨どいに見立てて貼り付けます。
編入組のポイントになる一段下がる部分は、高さをずらして貼り付けた二本のプラ棒を接着した後、タミヤセメントを流してこみ、乾燥後に紙やすりで均すという方法を取りました。これは交流運転会の時に参加してくださった方に教えていただいた技法を応用したものです。思ったより馴染んでくれて満足です。
ウインドウシルは編入組の特徴です。Bトレでは中間車のみモールドで表現されていますが、今回作る編成では先頭車にあるため、こちらもプラ棒を貼り付けました。
話は雨どいに戻ります。前面の部分は製品よりも低い位置に貼り付けます。具体的には1ミリほど下げました。位置決めには鉄コレを参考にしています。
プラ棒を丸みを帯びた前面に貼り付けるのは苦労しました。予め曲げておき、瞬着で少し強引に貼り付けました。
⑥手すりの取り付け
Bトレの寸法が滅茶苦茶なこともあって、窓の横はかなりタイトな取り付けとなってしまいました。トレジャーの1ミリ幅の汎用品を使っています。
左下ものは編入組のもので、雨どいがあります。手すりはこの雨どいをまたぐ様に設置しています。この部分の鮮明な写真が幾ら探しても出てこなかったので憶測で作っています笑
ちなみに末期の編入車は雨どいがパイプ状のものに交換されていて、手すりの形も取り付け位置に向かって少し窄まるものが使われていたようです。これは冷房改造y時に行われたのだと思われます。
⑦前面周りの加工

全ての先頭車に共通して標識灯の交換を行いました。ロストのパーツがそれです。
また、鳩掛けや副標掛けを取り付けました。貫通扉のドアノブは新製車と編入組で形状が違ったので作り分けしています(写真がないので比較できませんが…)
写真の車両は1908号をモデルにしています。プラ棒で作った箱のようなものはジャンパケーブルを収めるもので、編入車の大阪方先頭車にのみついてるものです。
おでこに付いた前照灯はBトレのものです。もともと前面パーツと一体になっていましたが、そのままではかっこ悪いので分離させて屋根に取り付けています。
⑧屋上の配管を敷設する

いわゆるパイピングです。もともと手先が器用ではないので模型自体きれいに作れてない私ですが、真鍮線の加工となると更に苦手意識が強くなります。Bトレでのパイピング経験は今年製作した115系を含めてもそれほど回数がないので、今回を機に少しでも慣れればと思います。
さて、表題の通りですが資料がほとんどありません。
このほとんどというのは、クレーンで搬入されている様子で屋根上が少し写りこんでいるとか、俯瞰写真で分かったりという程度のもので、はっきりこうなっていると鮮明に撮られた記録は見つけることができませんでした。
編入組の妻板同様、この部分に関しても憶測での製作になっています。
写真の真ん中は中間車です。これも製作当初は分からなかったので自己流で作りましたが、後々多少は屋根の様子が分かる写真が出てきました。結果はこれとは違う(笑)ものでしたがこればかりはしょうがないと諦めています。
なお配管についてですが、新製車と編入組では根本的に違うものだと考えてよいでしょう。
ただし、1810が1900に編入された際にTc車からMc車に電装化された車両があるのですが、それら3両は編入組の癖に新製車と同じ配管の回しで引かれていると思われます。
そもそも編入組に関しては、車両によってランボートやベンチレーターの設置位置自体も異なっており、法則を見つけるのに苦労しています(実際全容は解明してません)
完全に余談ですが、鉄コレのBセットに含まれる元両運の1905号の屋根上は配管はどうであれ概ねあれで間違いないと思います。ただ、あれを見て編入組のパンタ車はあのような屋根上なのかと思うと違うので注意が必要ですね。
配管は0.3ミリの真鍮線で、パンタ台座はボナの国電用、ランボートも同じくボナで西部用のものを使っています。
ヒューズボックスはトレジャーで、避雷器は自作です、
⑨保護棒の取り付け

淀屋橋開業に際して、地下区間で窓から手や顔を出すのを防止するために取り付けられたのが保護棒です。
この保護棒ですが、通常のプラ量産品で再現するのは難しいところがあります。大抵はガラス側に棒を模した何かが印刷されるに留まります。
今回はの特急車製作にあたってはかなり重要なポイント、作品を印象付ける部分になると思いますので丁寧な工作が必要です。
取り付け方は非常に迷いました。やり方は2種類です。
1つは真鍮線をコの字型にしてそれを車体側に開けた穴に差し込む方法。
もう1つは割りピンを使って固定する方法です。
実車の写真を見るとどちらの方法も間違いで、保護棒の両端はマイナスドライバーみたいに平たくなっていて、そこにボルトか何かを差し込んで固定しています。ですが、Bトレという特性上、そこまで再現されたパーツがあったとしても長さが合わないでしょうし、コストも嵩みます。
悩んだ挙句、今回は後者の方法を採用してみました。真鍮線の太さは0.2ミリです。
二本ある保護棒を平行に、そして長さも同じでないとかっこ悪くなってしまうので想像以上に大変な作業でした。
この保護棒ですが、新製車は戸袋窓の部分にはないので誤って設置しないように注意してください。
今回はここまでです。次回に続く。
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- 2017/12/11(月) 11:35:40|
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●2つの顔を持つ特急車
1963年に京阪念願の淀屋橋乗り入れが開始しました。この時に華々しくデビューしたのが1900系です。
スーパーカーこと2000系から始まる大きな2灯ヘッドライトを装備し、標識灯の下には輝くバンパーを備える新製車と、先代の特急車1810系を編入した2グループを持ちます。
1972年に後輩となる3000系に全車置き換えられるまで京阪特急の顔として駆け抜けました。
置き換え後は3扉に格下げされ、2008年の中之島線開業前夜まで通勤車として活躍しました。
今回はそんな1900系を、スル関限定で発売されてから10年以上の時を経て(笑)恐らく一番輝いてた1971年頃の姿を再現していきます。
●製作にあたり
突然ですが、サークルメンバーのほつ太朗氏と共作で京阪600Vワールドを展開していくことにしました。
やはりメインとなる特急車を仕上げたいということで、今回は1900系を選択。お互いの資料を集め、いろいろ考察しながら模型にしていきました。
何分、50年ほど前の車両になりますので、正確な資料が見つからずに憶測で製作した部分も多いです。何かご存知の方がいらっしゃればご指摘いただけると幸いです。
共作と言いつつ、ほつ太朗氏より遅い完成となりますが、そこは触れないでください(滝汗)
氏の読んでいて楽しいブログは
コチラからどうぞ♪
記事の内容として被る部分も出てきますがなるべく違う角度で書いたつもりです。
また、珍しく製作記ということでどれくらい続くか分かりませんが宜しくお願いいたします。
●1900系各形式
ここで1900系の大まかな形式について触れておきます。
1900 Mc車(運転台・モーター付先頭車)
1950 Tc/T車(運転台付先頭車/中間車)
1980 M車(モーター付中間車)←このグループは新製車のみ
複雑怪奇な車両に思われてますが、実は形式自体は3形式しかありません。…むしろ編入組も新製車も後年改造車もごちゃ混ぜだからこそ頭を悩ませるのかもしれませんが笑
●工作開始
今回は製作の模様を写真で伝えていきます。元々メンバー内に進捗状況を見せる程度に撮ったものなので、とても拙いものですが…。
①大阪寄り妻板の製作

4枚の妻板のうち、製品は一番左のものです。
恐らくほかの形式もそうなのではないのかと思うのですが、京阪では貫通扉が開く方向は向き合った車両同士でそろえられるようになっています。
二段窓の方は当然開閉するような機構があるため、開いた貫通扉が入る戸袋はありません。一方反対の大きな窓は戸袋があります。
これらは繋いだ時に向き合わないといけませんが、Bトレでは戸袋が右側にあるもの、つまり京都方の妻板しか製品化されていません。
なので妻板をニコイチにします。左側にある二段窓のモールドを切り取り、もう一つ用意した妻板にそのモールドをはめ込みます。それが右側残り3枚の妻板です。はめ込んだ様子が分かるのではないでしょうか。
また、戸袋部分については編入車はアルミサッシ、新製車はHゴム窓と違いがありますので、予めガラスが入るように大きさを調整しておきます。
②前面ガラスのくりぬき

Bトレの前面ガラスは転地方向が狭いと思われます。加えて今回は1971年頃という年代を絞った仕様にします。
この時の特徴として、貫通幌に成田リコ式(成田式)が使われていたという点が一つ上げられます。
YMプロジェクトさまがこの幌を製品化してまして、早速使おうと思ったのですが…。
Bトレに付属している幌を取り付けるための穴が大きすぎて、幌を付けても隠れないのです。
解決策はこの穴を埋めること。そして同時にガラス部分も瞬着により白化してしまうということで、思い切ってガラスを鉄コレやボナのものから移植してくることにしました。コストは嵩みますが、結果的にかっこよくなりますし、塗装時も楽になるのでメリットはあります。
③戸袋窓の位置の変更と方向幕埋め
Bトレは末期の1919Fをモデルにしています。つまり3扉改造後の姿のため、2扉時代ではどうしても戸袋窓の位置関係におかしな部分が生じます。また、貫通扉の項でも少しふれましたが編入組はアルミサッシ(金属押さえ?)で新製車はHゴムのため、このことも考慮しなければいけません。Hゴム窓は他の客窓より転地方向が低いのですが、アルミサッシは他と同じ高さになります。
この時に方向幕を貼るための窪みを埋めてしまいます。加えて後程貼り直す雨どいも削っておきます。
④ボディの一体化

もはや一体化工事ですら我が家では標準になりつつありますが、今回これを施工した理由は以下の通りです。
・編入組の顔が似ていないため、前面の雨どいの位置を約1mm下に移設するため
・編入組の前面の屋根周りのおでこの丸みを出すため
・妻板の手すり(雨どい)を張替えるため
Bトレの顔を眺めていてあまり似てないという話をしていた時に、雨どいの位置が高すぎることが分かりました。
実車は側面の雨どいから前面まで繋がっています。但し、同じ高さで続くのではなく、乗務員扉付近で緩やかに少し下がる構造をしています。この辺りは鉄コレでしっかりと再現しています。
Bトレでは金型の構造上、この部分の再現が無理だったのでしょうね。雨どいの高さに変化がないのです。
それが原因で、顔が似ていないのでした。
これを再現するにはボディを一体にするしかありません(笑)
同時に屋根部分のおでこに丸みが少ないので、ハンドメイドで削ってなるべく実車に近づけます。
妻板の手すりについてですが、これもBトレの宿命なんですね。側面と妻板のパーツをかみ合わせる部分に手すりが来るのです。
ですからこの部分も瞬着で埋めてツライチにしてしまいます。
写真は編入組の先頭車です。元のモールドはロストやエッチングに変えてしまうためすべて削り取っています。
前面の渡り板も残っていますが、後ほど撤去しました。
ここまで一切触れていませんでしたが、屋根も製品のでは解釈が納得できないのと、配管が違うような気がするのですべて削り取ります。
本日はここまで。次回に続く。
- 2017/11/08(水) 09:41:56|
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●現役最後の鋼製車。小田急8057×4R(2003年冬頃)
1982年に登場した通勤型車両です。伝統的な正面貫通扉、手すり、戸袋窓等は継承しつつも、一体窓のような前面はまさにかっこいい小田急の通勤車といったところでしょうか(主観)
6両編成と4両編成が製造され、当時はまだ残っていた中型車とも手を繋ぎ、混雑の激しい小田急の通勤輸送を担っていきました。
編成ごとによる細かな差異はないと思われます。
2000年代に入ってからは更新工事が行われます。ただ、その更新工事も長期に渡ったため、編成によって施工内容が変わってきているのが特徴です。Bトレにした時の外見的変化は行先表示機のLED化、6両編成のうち、中間車1両のパンタ撤去(一部を除く)、スカート交換といったところがメインになると思われます。
今回はそんな8000系の未更新時代、つまり比較的原型に近かった2003年冬頃の編成をモデルに製作してみました。
●Bトレの8000系
製品は過去に二度発売しており、一度目は9000とボディを共通化しての登場。二度目は完全新規設計で登場しました。仕様的には更新後です。今回は二度目の完全新規のものをベースに加工していきます。
●ボディの再塗装

小田急の青帯は難しく、人によって見え方や感じ方が違います。製品の青帯は私からすると、どう見ても現在の4000形等に使われているインペリアルブルーにしか見えず…笑
上が製品の側面で下が塗り替えたものです。青みが強すぎるので再塗装することにしました。
ベースのアイボリーは、ガイアのピュアホワイトにサンシャインイエローを適量混ぜたものを、青帯はクロスポイントのロイヤルブルーを使いました。
靴摺りや窓枠はマスキングして銀を塗装しました。
●前面

手すりはボナのものを使用しました。ワイパーはモールドがしっかりしていたので、そのままです。銀に塗っています。
未更新車は急行灯がありますので、8000系の初版品からステッカーを持ってきました。
方向幕は黒地でローマ字が入った姿のもので、鳳のものを使っています。
スカートは1000形からもってきましたが、もう少しリアルにしたいところです。
小田原方は6両編成と繋ぐためにSHGブロックを取り付けていますが、新宿方は常に露出することから見栄え重視でTNカプラーを取り付けました。
●側面

車側灯の形状が更新した際に変わり、Bトレもその姿を再現しています。これを元の姿に戻すために、トレジャータウンのパーツを使ってみました。
そのほかの、ナンバーや号車札などをインレタで表現することで華やかにしています。
●妻面と屋根

前面同様、ボナのパーツを使って手すりを交換しました。
貫通扉の色はちょっと自信ないです…。
それにしてもBトレにしてはこの妻板、非常によくできてると思います。
屋根上の新宿方の手すりが製品には存在しないので、新たに植えています。
また、明るいグレーで再塗装しています。
●まとめ

大量に積んでる8000をようやく1箱消費しました…。
元が良い製品なだけに、再塗装で汚くなってしまったのが反省点です。
妻板も引き戸の取っ手を取り付けたいのですが、形が特殊なので自作しかなさそうですね。
今後は未更新の6連を作ったりブツの8連をやりたいなぁと思いつつ、本日はこのあたりで失礼したいと思います。
- 2017/10/22(日) 10:26:08|
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